start of the investigation since November 10, 2013 CONISCH Lab
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* 歌う海の端(は)、谷戸のまち

奥井亜紀 × Conisch(コーニッシュ) コラボレーションLIVE『夢音相音』を終えて

6 Apr 2016
コーニッシュ的瓦版

著者 コーニッシュ

日付 2016年4月6日

 

 2016年4月2日(土)に横浜で開催された「夢音相音」LIVEが無事終了しました。5年越しのコラボレーションとは言っても、シンガーソングライターの奥井亜紀さんの領分にお邪魔させて貰ったも同然、長年のファンの方々には急に来て「ナンダコイツは」と言われないように、出来ることを頑張ろう、と思い臨みました。

 

 LIVEの最中、奥井さんが僕のサイトを紹介してくれた際、「今日のことも書いてな〜」と言われたこともあって書いてます。

 

 翌朝、恒例の大國魂神社への御礼参りから帰って来て、久々に卵を「片手で割る」と言う無駄なスキルの習得(→楽しい)も兼ねて朝ご飯を作りながら、何を書こうか考えてました。とは言え、LIVEは奥井さんの熟(こな)れた捌(さば)きっぷりに委ねられ、滞り無く進行して行きました。度し難いトラブルも皆無、そう言った意味では特段取り上げる様な事件性のある話題もなく、無事終わって良かったと言う安堵感が今は大きな羽衣の様に身を包んでいるばかりです。

 

 しかしながら、あの日を改めて振り返って内省してみると、不意に閃かせる出来事が二つ程あった事に気付きました。一つ目は、奥井さんがトークの中で「コーニッシュくん、歌もうまいでしょ〜」と言ってくださったこと、お世辞でも既に20年来シンガーソングライターとして活動されている方からの言葉は嬉しいものです。自分も小さい頃から「(作って弾けて)歌える人」に成りたいと願っていましたが、曲が作れるとかピアノが弾ける方がどうしても目立って、「歌いたい」とは言っても半分笑われながら「いいよお前は」みたいな扱いに遭うことが殆どで(その理由は下手の横好き程度だったから)、漸く十三年程前に会えた心の広い声楽の先生の元でレッスンを重ね、やっと四年前の自分のリサイタルでのみ歌い始められたところなので、今回まさかの、コーラスと言う扱いながらも歌わせて下さった奥井さんやスタッフには本当に感謝です。

 

 横浜は自分の出身地でもあり、今回の会場「YOKOHAMA O-SITE」が入っているビル内の映画館「相鉄ムービル」などは中学生の頃からあるので思い入れがあります。ムービルは十年程前にリニューアルしたと言う記事を見ていたので当時の雰囲気はもうないかもと思いきや、2億円も注ぎ込んだらしいのに一体どこが変わったのか、と言う感じでした。ムービル周辺に目を遣ってみても、ここ”幸栄"地区とは名ばかりの、駅に隣接しているにも関わらず、整備が未だ余り進んでいないこともとても気になりました。横浜市としては「エキサイトよこはま22推進事業」を掲げ、そのビジョンでは理想を語っていることは知っていましたが、問題点(地盤沈下など)が多過ぎて遅々として進んでいない感が否めず、そんな景色に感慨と迄は行かないものの、セピア色の写真を回想している様な感覚には相成りました。

 

 もう一つの出来事は会場へ向かう道中にありました(以後、近隣でない方には聞き慣れない名ばかりゆえ御容赦下さい)。東名高速道路の横浜町田インター以降、八王子街道ではなく、保土ヶ谷バイパスをナビが選んだのでひたすら真っすぐ進みます。狩場インターまで行くかと思いきや、手前の新桜が丘インターで降りると言う指示に従います。横浜新道の藤塚インターの直ぐ横の一般道を走った辺りで、急に「気の変わり目」の様なものを感じ、心とも無く籠絡された様な気分になりました。それが又何故か懐かしくも妙に心地良く、何やら心が揺さぶられて訴え掛けて来るものを感じました。就学前から二十数年住んでいた所からはやや離れているものの、同区内であることに間違いなく、某かの土地に刻まれている記憶とでも言う様なものが、知らない内に自分の中に恰も現身の様に宿っているのを認めざるを得ませんでした。

 

 Google Mapの「ストリートビュー」で再検証してみても、やっぱり同じ感覚が得られたので気のせいでは無い様な気がします。又、国土地理院が提供している「標高が分かるWeb地図」を改めて見てみると、この周辺と言うのは広範囲に渡って(東京多摩地区〜神奈川県)、隆起しているのが分かります。刻まれた記憶を形成する材料は、当然ながら土地の成り立ちに深く関わっている様な気がするので、一体それが何なのかを可能な範囲で調べてみた所、面白いことが分かりました。

 

 1926年に東木龍七と言う地学者が貝塚の分布より明らかにして以来、遡ること縄文時代は現在よりも海岸線がずっと内陸側にあったことは周知の事実として知られています。その後の調査に拠れば、当該地区は海(古帷子湾)が侵入していただろうとされる(境界線、つまり入り江)横浜市和田町付近であり、自分の身に流れ込んで来た感覚は縄文の記憶に由来するのかも、などと奇想天外な発想に我ながら笑ってしまいましたが、次の瞬間、その考えも割り合いウソでも無いのかもと思える記録を目に思わず身を乗り出しました。縄文時代当時、同様に入り江であったとされる場所の中に、自分が長らく住んでいた地域の町名が書かれていたのです。該当の場所同士を比較してみると共通点があります。丘陵地から緩やかに低地へと傾れ込み、阿(おもね)る住宅街をも包含した地勢が、デジャヴュの如く感得したのかもしれないと、不思議に思いました。ただ、それ以上に我ながら驚いたのは、自分が5歳の時、幼稚園の送迎バスの中、いつも右折する丘の上の交差点で「この先には海があるんだ」と信じて疑わず、いつか行ってみたいと思うあまり、「今日はそこ(海)へ言って来たんだよ」などと母親にウソを付いた記憶まで残っている其の場所こそが其処であり、同ラボ内の「Tempo de Conisch」の序文に書いた「太郎君の誕生日ケーキ」の話と一緒についたウソが、30年振りにウソではなかったかもしれない、と証明された(?)かと思うと、何だか嬉しくも懐かしくも、騙された様な、水でも引っ掛けられた様な、奇妙な気分です。

 

 今回の二つの出来事は、自分の辿って来た道やルーツみたいなものを甦らせてくれた以上に収穫があった気がします。今年、自分を取り巻く音楽制作環境が変わろうとしています。演奏家元年となれるか、そんなテーマを掲げる中、「歌」のこと、「海」のこと、自身のアイデンティティーを再確認する様な日となった気がします。新たな方向性を見出す時、改めて歩んで来た道のスタート地点に目を遣ることが、浮き足立ちそうな足を地に付けさせ、次に飛び上がるための力点と作用点を確実に捉える機会となったことに間違いありません。

 

 

【 参考文献 / WEB 】

 

『対話で学ぶ 江戸東京・横浜の地形』松田磐余 著(之潮 コレジオ)

Web版 有鄰:平成17年1月1日 第446号 P4「広くて暖かだった縄文の海」松島義章 著

ヨコハマ経済新聞:平成19年12月23日記事:

  横浜駅周辺部の再開発計画がいよいよスタート!21世紀の「ハマの玄関口」はデザインできるか?

ヨコハマ経済新聞:平成18年12月10日記事:横浜西口の映画館「ムービル」がリニューアル、内装を一新

日経BPnet:新・公民連携最前線 PPPまちづくり:平成28年2月29日記事:

  コンパクトで賑わいのあるまちづくりを加速、政府が改正法案を閣議決定

横浜市都市整備局「エキサイトよこはま22」

横浜都市整備局概要事業

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横浜市環境創造局 かけがえのない環境を未来へ

横浜西口タウンガイド「イイじゃん!イイじゃん!西口イイじゃん!!」

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