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start of the investigation since November 10, 2013 CONISCH Lab
Tempo de Conisch Articles by Conisch fortune
◆ ATTITUDE ◆ 本ページではコーニッシュの独断と偏見に満ちた解釈による、図らずもモノマニアックな “お天気占い” が展開します。飽く迄イマジネーションの神秘や奇蹟に生起する産物の惹起を第一に!(詰まり、一見不合理な妄想とさえ忖度(そんたく)され得る、白昼夢に訪れる朧げな思考性、或いは流動的知性を、決して拒んではならないと言う事である!)を至上のルールとして定めます。 子供には、空想と現実の区別が出来ない時期があると言います。空想好きな幼い自分も、理性との飽くなき闘いに疲れ果てた揚句、やってもいない太郎くんの誕生日会が幼稚園で開かれて、食べてもいないケーキを食べて来たと母親に言ってしまった事が発端で、瞬く間にその“ウソ”がバレて、大勢から責め苦に遭った覚えがあります。このような現象はおおよそ5歳前後に起こり、以後収束して行くと言われていますが、私の場合、時を同じくして音楽を創る「作曲」と言う行為が人生にもたらされた為に、収束どころか次第に 桎梏(しっこく)へと変化して行きました。初めに自由を与え、追従して隷従を強いられるに至るプロセスを繰り返し続けて来た結果が、"ここ"を創る事になったのだと今は考えています。 「作曲」と言う行為に身を潰(ついや)す為には「空想」の気魂が不可分に有ったのです。 音楽と共に歩むに連れ、社会に於いて実装すべき基本態勢の自分なりの土台が築き始められました。 幸か不幸か、私は程なくして現実主義的な人間になる事を免れました。よく芸術家について論じられる時、社会性の欠如を言及される事が多々ありますが、幾分かは当たっているようにも思いますが、或いは間違いであるとも言える、と考えます。芸術家は「空想」したものを具現化する力を備えており、そこには様々な理想が込められ、人々の希望や夢に成り得る可能性を秘めています。プラグマスティックな理性、切迫するルサンチマン、形而上学的な信仰、精錬された信心など、それらがどの程度の割合で心性に結合するかによって、生み出される発明は千差万別。私にとっては「作曲」と言う行為の登壇の御蔭で、「空想」と言う行為を無闇に捨てずには済みましたが、その内、実社会に於いては取るに足らない出来事や事象こそが頭に取り憑いて、思考(空想)せずにはいられなくなりました。 壁紙に仕掛けた不出世の傑作《夜警》を描いたオランダの画家レンブラントは、目の病気の為、本来両目で補完する筈の多くの機能を、片目だけで補っていたと言われています。彼は斜視でしたが、画家にとっては決して悪い事ではなかった ー事実、デッサンを行う際に美術教師が生徒に片目で行うよう指導する事があり、立体的な事物を平面的に捉えると言う効力を発揮させるー と、ハーバード大学医学大学院の神経科学教授のマーガレット・S・リビングストン氏が自身の論文で述べています。 芸術に向き合う者は本質的な意味で、レンブラントと同じく「斜視」なのかもしれません。或いは、そうあるべきなのかもしれません。そしてそれらは、病的なまでの執着と言う形で現れる現象と同質のものだと言う事も出来、現代でも分野に限らずそれを認識し押し進め続けるアーティストは数多く存在します。押し進める理由は単純明快、止められないから。 レンブラントは褐色白内障でもあり、茶系の色が最も明るく見えたと言いますが、それが彼に個性を付与させたのは言うまでもありません。『夜警』は本来「昼」を描いたとされますが、ニスが変色して茶色っぽくなったと言われています。ニスに元々暗色系の色が付けられていたと言う説もあるようですが、これについては真偽の程は分かりません。仮にその説が真実だとして、そもそも茶系が最も明るく見えた彼は、様好しき「昼」を描く為に使ったまでであり、決して、文目も分からない「夜」を描こうとは思っていなかったのではないかと思います。少なくとも、この暗い背景の影と人物に当てられた光との対比がレンブラントの個性たる所以であり、図らずも彼がそのような作品を描く為には障害すら才能と化し、天が時までをも彼に味方させたと考えれば、そこに奇蹟の息差しを感じずにはいられません。 このように、ここで目指すのは、常軌を逸したドメスティックな空想や夢想を現実と結び付ける "お天気実験ラボ" 。日常の中の其処彼処に様々な姿形をして潜んでいる葉(派)に光を当て、影で支える芯(真)に佳味(神)の妙薬(名役)を見出す事に日夜勤しみます。 ◆ how to read ◆ ゴシック体で書かれた直感的な“占い結果”を元に、明朝体で新たなる地平の“夜明け”を探求します。記録による一日一日は分断されているように見えますが、連綿と続く終わりのない道の一部です。弛まぬ歩みが証明する時の生態遷移(*¹)が構築する“フォルム”とは、グラフェン(*²)のように極めて薄い素材にも関わらず、圧倒的な強度と柔軟性を同時に兼ね備えていると予測します。全てが緊密な連関を保ちながら全体を形作ろうとする構造と特性は、まるで有機体のようであり、自己組織化(*³)の行程が遂行されているようにも思える筈です。故に、不変不動の彼らの種姓を漸次辿って行く事が適うならば、その“深窓の霊妙”は、貴方に 嚆矢濫觴(こうしらんしょう)を見出す展望を与えたと考えるべきです。何故なら、(“明朝体”で求道している様に)あらゆる内的思考の展開が許されると同時に、(“フォルム”が 煩瑣(はんさ)な手続きをいとも簡単に、 而(しか)も精妙に象ってしまうと言う様に)個々のペルソーナ(*⁴)が受容され続けると言う現象自体が、森羅万象の共鳴(*⁵)を示しているからです。 *¹ 生態遷移 [succession] 特定の地域に於ける植物群落が、時と共に訪れる環境の推移により、一定の針路を定めて変化して行く事。サクセッション、遷移などとも呼ぶ。 *² グラフェン [graphene] 兎にも角にも想像を絶するほど薄い透明な素材(300万枚を重ねて初めて1mmの厚さになるほど)。鉄の100-300倍以上の強さを持ちながら、6倍弾性がある。その上、熱伝導性は銅よりも大きいと言う、至れり尽くせりのスペック具合。その驚嘆すべき性質によって私たちの生活が激変するのではないかと期待されている。 *³ 自己組織化 [self-assembly] 秩序形成のメカニズムを理解する為に、分野の枠を越えて研究されている概念であり、 アメリカの数学者ウィーナーによる『サイバネティックス Cybernetics』の提唱を機に、広く受容されるようになった。混沌状態から自律的に秩序を為す構造が形成される事を指す。本ラボの活動は、イリヤ・プリゴジーヌ氏の「散逸構造」や、ハーマン・ハーケン氏の「シナジェティクス研究」、アイゲン氏の「ハイパーサイクル研究」等とも本質的に呼応するとみられる。 *⁴ ペルソーナ [persona] ラテン語。日本語では「位格」などと訳される三位一体論の説明で特に用いられる神学用語であり、ペルソナとも言う。元来、古代ギリシアの演劇で俳優が使用した「仮面」の意。転じて役柄・役割・性格、ユングは自己の外的側面をこう呼び、外界に適応する為に須要な人格を意味するようになった。言葉の本質こそ変わらないが概念自体は様々な分野に波及し変化して行った。文学作品の登場人物や語り手、美術では人体・人体像を意味し、現代に於いては企業が商品開発を行う為に設定するユーザモデルの事を指し、マーケティング手法の一つとして(ペルソナデザイン)用いられている。 *⁵ 森羅万象の共鳴 [resonance of all things in the universe] 宇宙の成り立ちを明らかにする為に、物理学の世界では「大統一理論」の確立がひとつの大きな目標として掲げられている。この世に存在する一切のものを1つの物理法則で説明する(具体的には、自然界に存在する4つの力を1つにまとめる)と言う理論であり、アインシュタインが完成を夢見ていたと言われる。日本では、ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏が嘗て率いた「カミオカンデ」の後継装置として作られた素粒子観測施設「スーパーカミオカンデ」、欧州では「CERN(欧州合同原子核研究機関)」等で、現在も尚、世界中の素粒子物理学者達が、日夜挙って実験を繰り返している。 森羅万象の共鳴とは、生命の誕生以来、全人類の共通認識であり、決して物理学者だけが探究して来た概念ではなく、ありとあらゆる職務に従事する人達が、それぞれの目する 金烏玉兎(きんうぎょくと)の中で歩めて来た、魂と肉体に埋め込まれた思想故の掉尾(ちょうび)である。本ラボの提唱する実験方法とは、決して科学や物理等の専門的な知識がなくとも、人間の持つ知性と感性に託したイマジネーションの翼の飽くなき探究心と自由性に拠って得られる室長自身の予見に材を取っている。
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